天地真理(あまちまさみち)オフィシャルサイト

苦しみ、悲しみのない幸せあふれる安らぎの人生を手にいれませんか?

わたしは30年にわたってヨーガや気功、スピリチュアリズム、各種宗教、占い・運命学等を研究、実践してきました。

そしてようやくこの世のしくみ、真理の一端を悟ることができました。

 

それは宇宙やこの世全体の真理からすると微々たるものかもしれませんが、宇宙からみてケシつぶ以下の存在である人類にとってはとてつもなく大きく深い知識と智慧になろうかと思います。

 

お釈迦さまもおっしゃられたように、この真理を知り、実践しさえすれば、だれでもどんな人でも最高の幸せと喜びと安らぎとがえられるのです。

 

そんな真理は人種、国籍、宗教、思想を問わず、すべての人に共通して作用しているものなので、スピリチュアリズム、各種宗教、ヨーガ、気功など、それぞれの探究者がそれを悟り人々に伝えてきました。

 

ただし、年月を経るうちに権威主義や商業主義にどくされてしまって、よぶんな装飾のなかに真理が隠されてしまっているのが現状なのです。

 

そこでこのサイトでは、各種宗教やヨーガ、気功など、それぞれの分野に隠されている真理をほりおこして、わかりやすく解説していこうと思います。

 

また、いずれは宗教や思想、信条をこえて真理をもとめる人たちが交流できる場も設けていければなぁ、と考えています。

 

スピリチュアルな世界やこの世の真理、瞑想や解脱などに興味のある方は時々このサイトをのぞいてみてください。

 

それでは、

『なぜ真理を知れば完全無欠の幸せな人生が手にはいるのか』

についてお話していきましょう。

 


真の幸せを手にいれるたったひとつのカギが【真理】である

人生を劇的に変えるたったひとつの方法とは

お釈迦様は、人生にはたくさんの苦しみがあるとおっしゃいました。

 

その代表的なものが生老病死ですが、あと4つ

 

・愛するものと別れる苦しみ(愛別離苦)

・欲しいものが手にはいらない苦しみ(求不得苦)

・にくい相手と出会ってしまう苦しみ(怨憎会苦)

・あらゆるものに執着してしまう心をコントロールできない苦しみ(五陰盛苦)

 

というものもあります。

 

これらをよくみると、人生すべてが苦しみでしかないということがわかるかもしれません。

 

たとえば、欲しいものが手にはいらない苦しみ(求不得苦)をのりこえて欲しいものを手にいれたとしますね。

 

しかし、好きなモノにせよ、愛する人にせよ、お金や地位にせよ、いつかは手放したり、別れたりするときがくるでしょう。

 

ということは欲するものを手にいれるというのは、愛するものと別れる苦しみ(愛別離苦)のはじまりとなるのです。

 

また一番最後の、五陰盛苦(ごおんじょうく)にいたっては、五官で認識できるものに執着してしまう自分の心をコントロールできない苦しみということですから、健全な肉体をもっていることすら苦しみになってしまうのです。

 

人間というのはそんな苦しみだらけの人生しかおくれないから、そもそも『生まれてくること自体が苦しみなんだ』と身もふたもないことをお釈迦様はおっしゃられています。

 

『なんで自分だけこんなに不幸なんだろう』

 

と感じている人も多いことと思いますが、こんなお釈迦さまの言葉からもわかるとおり、じつはほとんどの人が人生になんらかの悩み、苦しみを抱えているものなのです。

 

でも、大丈夫です。安心してください。

 

そんな苦しみから抜けだす方法が、たったひとつだけあるのです。

 

それが

【真理を知ること】

なのです。

 

これはわたしの勝手な考えではなく、お釈迦さまもハッキリとそうおっしゃられています。

 

だから、いまあなたがどんなに不幸な境遇にあっても、苦しみ悲しみのどん底にいたとしても大丈夫です。

 

 

真理を知れば幸せしかなくなる

それではなぜ真理を知れば、不幸や苦しみから抜けだせて幸せになれるのでしょうか。

 

それは真理というのは、ただしいこの世のしくみやルールのことだからです。

 

たとえば、交通ルールをまったく知らない人が自動車やバイクを運転したらどうなるでしょうか。

 

運転するたびにハラハラドキドキ怖い思いをするでしょうし、いずれは事故を起こして大ケガをしたり、人をひいてとりかえしのつかないことになってしまったりすることでしょう。

 

ルールを知って、守って、その上で注意もしながら運転するから、事故にもあわず、便利に快適に自動車やバイクを乗りこなすことができるのですね。

 

もうひとつ例をあげると、だれかが堤防で魚釣りをしていたとします。

 

その人が大量に釣りあげているのを見て、その人が帰ったあとで、あなたもまったくおなじ場所で釣りをしたとします。

 

しかし、あなたは1匹も魚を釣ることができません。

 

そんなとき、あなたは『なんて自分は運が悪いんだ』とか、『自分は天に見放されている』などと考えるかもしれません。

 

でも実際は、魚というのは時間帯ごとに泳ぐ場所が変わってくるので、昼間に堤防のほうによってきても、夕方以降になると沖のほうに行ってしまったりするのです。

 

ですから、あなたが魚を釣ることができないのは運や神様や悪霊のせいではなく、たんにあなたがそんなしくみを知らず、魚のいないときに釣り糸をたらしていただけだった、ということなのです。

 

これとおなじことが、この世界や人生についても言えます。

 

この世のことには、すべて決まったルールやしくみがあるのです。

 

それは法律とか倫理、道徳といったような人間が頭で考えだしたあやふやなものではなく、人間が誕生する以前からこの世界を支配する存在によって定められた永久不変の厳格なルールやしくみなのです。

 

だから、時代や地域、人種などによってコロコロ変わることはありません。

 

それが真理と呼ばれるものなのです。

 

この真理は仏教では智慧とも呼ばれ、人間が智慧をもっていない状態、すなわち真理を知らない状態を無明と言います。

 

そして、人間が不幸になったり苦しんだりするのは無明の状態にあるからだと、お釈迦さまはおっしゃられています。

 

どうでしょうか。

 

『どうしてわたしばかり不幸になるの』

 

『なぜわたしばかり苦労が絶えないの』

 

と思われていたあなた。

 

その理由がわかりましたか。

 

この世のルールもしくみも知らずに、ただやみくもに無免許運転で暴走したり、魚のいないところに釣り糸をたらすようなことばかりしていたあなた自身に、おおきな原因があったということなのです。

 

不幸や苦しみから抜けだして、楽しく幸せで充実した生活をおくりたいのであれば、まずはこの世のルールやしくみについて知ることが必要です。

 

そのうえで、そんなルールをきちんと守り、しくみを適切に活用しながら日々生活をしていけば、あなたの人生は自然に安らぎと幸せに満ちたものに変わってくるのです。

 

真理を知るとは真理にしたがうこと

ただし、真理は知っただけではなんの役にもたちません。

 

それをきちんと守らなければ、幸せになるどころか、逆に不幸や災難にあってしまうこともあります。

 

交通ルールを知っていても、自分は急いでいるからとか、人のために自分の時間をムダにするのはイヤだとか、わたしはだれの指図もうけないぞ、といったような自分勝手な理由から、信号や標識を無視するようなことをつづけていれば、そのうちかならず大事故にあってしまうでしょう。

 

このように、真理を知っていながら自己中心的な欲望やあさはかな損得勘定でそれを無視して不幸な目にあってしまうことを、自業自得といいます。

 

ちなみに、これをバチがあたるという人もいますが、バチがあたるというのは神様が悪いおこないをした人間に罰をあたえることであって、実際にはそんなことはありません。

 

本当の神様というのは宇宙全体に遍在してこの世を支配しているエネルギーであって、宇宙意識とよばれたりしますが、 神道や西洋の宗教にでてくるような人間の姿かたちをして、怒ったり喜んだりするような人格神はいないからです。

 

真理にしたがえばどんな人でも救われる

真理を知らず不幸になるのが無明

真理を知りながら、それを無視して不幸になるのが自業自得

 

世のなかの不幸の9割がたは、この無明と自業自得によってもたらされています。

 

『でも、生まれながらに不幸な人もいるじゃないか』

 

と思われている方もいるかもしれませんが、それが残りの1割ほどの不幸であって、これは前世のカルマとか、豪と言われるもののしわざになります。

 

前世と現世をまたいでいますが、これも厳密にいえば自業自得ではあります。

 

前世のカルマ(業)についてはまたべつの機会にくわしくお話ししますが、自分はそうかもしれないと思いあたる人でも大丈夫です。

 

無明の人

自業自得の人

カルマを背負って生まれた人

 

いずれの人も真理をただしく実践することで、その瞬間から人生は大逆転にむかって動きだしますので安心してください。

 

幸せになるために必要なこと

幸せになるためにもっとも必要なものはなにか、おわかりでしょうか。

 

お金?

健康?

立派な家?

自分を愛してくれる人?

 

いやいや、それ以前にもっと大事なことがあります。

 

それは、

『幸せとはなにか』ということを知ること

です。

 

『そんなの知ってるよ。だからお金が大事だって言ってるんだろう』

と思った人は、やはり幸せとはなにかがわかっていない人です。

 

お金に不自由しない人がドラックにはまったり、自殺したりしているのを、たまにニュースでみかけませんか。

 

逆に、食うや食わずの貧乏暮らしをしている芸人さんなどが、幸せそうに毎日をすごしていたりする様子もテレビでみることもありますね。

 

ということは、お金は幸せをもたらしてくれるひとつのツールではあるかもしれませんが、お金があること=幸せではないということですね。

 

健康にしてもそうです。

 

若くて健康そのものなのに自分は不幸だと言って自殺をする人がいる一方で、身体が不自由だったり、つらい病気を患っていたりするのに、毎日楽しく、幸せいっぱいのなかですごしている人がいます。

 

こうして考えると、お金も健康も結婚も、地位や名誉も、すべてたんなるツールであって、それ自体が幸せではないということがわかるでしょう。

 

それはたとえるなら、ノドがカラカラで死にそうなほど苦しんでいるときに、『コップがないと水が飲めない』、『コップさえあればノドをうるおせるのに』と、コップを手にいれることに固執しているようなものです。

 

でも、本当に必要なのは、コップではなく水ですよね。

 

もし目のまえにきよらかな水が湧きだしていたら、コップなどなくてもそのまま口をつけて存分に飲めばいいでしょう。

 

そして十分に水を飲んでから、ゆっくりとコップを探せばいいのです。

 

幸せに暮らしている人がなに不自由のない生活をしているのは、この順序を知っているからなのです。

 

まずは幸せになって、それからお金や健康、愛する人、友人など自分が必要だと思うものを手にいれていくという順序です。

 

にもかかわらず、ほとんどの人が本当の幸せというものを知りません。

 

そのため、一番大事な【幸せになる】ということができておらず、ツールを手にいれることが幸せだとかん違いをして的はずれな努力をくりかえしているのです。

 

そんなむなしい努力だけで一生を終えないためにも、まずは幸せとはなにかということを知る必要があるのです。

 

ニセモノの幸せは不幸への入り口

ます幸せには、つぎの2種類あるということを覚えておいてください。

 

ひとつは、脳の錯覚によるニセモノの幸せ。

 

もうひとつは、だれにも、なににも壊されることのない絶対的な喜びと安らぎに全心身がつつまれる本物の幸せ。

 

後者の本物の幸せについては、つぎの項で説明しますので、まずはニセモノの幸せについてお話ししましょう。

 

残念なことに、ほとんどの人が前者の脳の錯覚による幸せ、つまり ニセモノの幸せをえることが人生の目的だと考えていて、これがさきに述べたようにツールに執着してしまう原因にもなっています。

 

そして本当の幸せを知らないままに、不幸と苦しみのなかで、ツールによるほんのちょっとの脳の錯覚だけを楽しみに生涯を終えるという人生をおくっています。

 

これが典型的な無明の人のパターンですが、いまこれを読んでいるあなたもそうかもしれませんね。

 

そこで、 あなたの知っている幸せは脳の錯覚によるニセモノだということをここで証明してみせましょう。

 

脳の錯覚による幸せとは

たとえば、あなたが思いっきり奮発して高級レストランでおいしい料理を食べていたとします。

 

高級レストラン独特のおしゃれな雰囲気と店員さんの優しく丁寧な接客が、めったに味わえない最高の食材をつかったおいしい料理の味をさらに引き立てて、あなたは心のなかでも最高の幸せをかみしめています。

 

この幸せは、脳の錯覚などではなくまぎれもない事実だとあなたは思っているかもしれません。

 

それでは、そんなところにあなたのうしろから、

 

『なにこれ。ヤダー、虫がはいってる。前もこんなことあったんだけど』

 

というささやき声がしてきたとしたらどうでしょうか。

 

もちろん、あなたの料理には虫などはいっていません。

 

でもそれを聞いた瞬間から、最高においしかったはずの料理が一気にまずくなって、あなたの心もどんよりと沈んでしまうのではないでしょうか。

 

ダメ押しで言うなら、となりのテーブルに虫が這っていた日には、吐き気すら催してしまうかもしれませんね。

 

あるいは、あなたが大好きなアーティストの曲を聴いて、心が幸福感でいっぱいに満たされていたとします。

 

そんなところに電話がかかってきて、『お母さんにガンが見つかった』と知らされたとどうでしょうか。

 

幸福感など、どこかにふっ飛んでしまうでしょう。

 

どちらも料理を食べている、音楽を聴いているという状況はまったく変わらないわけですが、脳にネガティブな情報がはいってくるだけで心は一瞬にして幸せの絶頂からから不幸のどん底へと真っ逆さまに落ちてしまいますね。

 

これには逆のパターンもあります。

 

あなたのお気に入りのシャツにだれかが落書きをしたとします。

 

当然あなたは、怒ったり悲しんだりするでしょう。

 

しかし、もしそれがあなたのあこがれのタレントさんやスポーツ選手があなたのために書いてくれたサプライズのサインだったとしたらどうでしょうか。

 

たぶん、あなたは最高に幸せを感じて、それをたからものとしてこれまで以上に大事にするでしょう。

 

このように人間が感じている幸不幸というのは、基本的に脳の認識しだいで大きく左右されるものであり、まったくおなじものごとでも正反対に感じてしまうのです。

 

というわけで、あなたが幸せだと考えている状況というのは絶対的なものではないということがわかりましたね。 

 

『でも、不幸を感じさせるようなネガティブな情報がはいってこなければ、幸せはつづくはずだ』

 

と反論されるかもしれません。

 

本当にそうなのかどうかは、カンタンな実験で証明できます。

 

これから1週間、あなたが幸せを感じる大好物だけを食べて生活してみてください。

 

脳の錯覚でないのであれば最高に幸せな1週間となるはずですが、はたして何日幸せがつづくでしょうか。

 

あるいは1日ですむ実験もあります。

 

学校やお仕事が休みの日に、あなたがもっとも幸せになれる大好きな曲をエンドレスで、朝起きたときから夜寝る前まで1日中ずっと聞いてください。

 

人生でもっともハッピーな1日になるはずですが、はたして何時間幸せがつづくでしょうか。

 

どちらも最初のほうは、たしかに幸せを感じるでしょう。

 

しかし、しばらくすると幸福感がうすれてきてなにも感じなくなり、さらに続けるとあれほど好きだったはずのものに嫌気がさしてきて、しまいには見るのも聴くのもイヤということにすらなってくるはずです。

 

とくに音楽のほうは、刺激が連続して続くので、たんにその曲が嫌いになるというレベルではとどまらないでしょう。

 

ダイレクトに脳に刺激がつたわるイヤホンなどで長時間おなじ音を聞きつづけるのは、ヘタをすると発狂してしまいかねません。注意してくださいね。

 

まあ、こんな危険でバカバカしい実験をするまでもなく、このような脳のしくみにはほとんどの人がうすうす感づいているから、どんなに大好きなものであってもそれひとつだけで満足しようと思わないのですが・・・

 

脳の錯覚で人生最大の失敗をすることも

さきの例のように、本能的に脳の錯覚をさけているケースはよくありますが、おおくの人が脳の錯覚にふりまわされて人生を左右するほどのおおきな失敗してしまっているのが結婚です。

 

この人以外考えられないとか、価値観が一緒だからなどと言って結婚した人が3年もたつと相手のグチばかり言っていたり、あっさりと離婚していたりすることは珍しくないでしょう。

 

これぞまさしく、脳のとんだ錯覚だという典型的な例ですね。

 

(本当に心の底から愛しあい、幸せをわかちあえるパートナーとめぐり逢うためには、カンタンに錯覚をおこしてしまう脳のような不完全な器官に判断をゆだねるのではなく、ちゃんと真理にそったただしい方法があるのですが、それについてはまたべつの機会にお話しします)

 

どうですか。

 

あなたが幸せだと感じていることは、本物の幸せとはほど遠く、カンタンに壊れてしまう脳の錯覚にすぎなかったことがおわかりでしょうか。

 

じつは、この脳の錯覚というのは、脳が一時的な刺激により興奮してそれを幸せだと感じているだけであって、これはアルコールやドラッグでハイになっているのとまったくおなじことなのです。

 

アルコールやドラッグにはまってなかなか抜けだせない人が多いのは、薬物による依存性の問題だけでなく、わざわざ苦労してお金や地位、名誉などを追い求めなくても、ごくカンタンにてっとり早く幸せがえられることを知ってしまったからなのです。

 

つまり、あなたが本当に幸せだと信じているものは、数百円のお酒でカンタンに手にはいるものでしかないのです。

 

まあ、アルコールやドラッグ以外は身体に害が少ないだけましではありますが、それでも脳を刺激するというその構造はおなじなので、とうぜん中毒性、依存性はあります。

 

最初の刺激で脳が興奮して幸せを感じ、脳が刺激になれてくると幸福感は消えてしまい、より強烈なあたらしい刺激が欲しくなるという欲望の無間地獄におちてしまうのです。

 

だから、本物の幸せがあることを知って、まずは幸せになって、それからお金や健康など人生に役立つツールを必要におうじて手にいれるという順序が大事なのです。

 

錯覚におどらされる人、真理を知る人

脳の錯覚におどらされて生きる人の人生は、テレビのドラマを現実だと勘違いして喜んだり、悲しんだりしているようなものなのです。

 

それに対して、真理を知って本物の幸せを手にいれている人というのは、快適なリビングでくつろぎながらテレビを見ているようなものです。

 

テレビのなかでなにがおころうと慌てたり、怒ったり、悲しんだりすることなく、冷静にドラマの成りゆきを楽しんで見ていられますし、それがつまらなかったり、不快なものだったりすれば、自由にチャンネルを変えることもできます。

 

もちろんドラマに感情移入して、一緒に泣いたり笑ったりして楽しむこともできますが、それも作り物とわかったうえでのことになるので、なにがおころうと自分の人生の一大事みたいな悲壮感をもったりすることはありません。

 

これは、テレビを見るというよりもテーマパークで遊んでいるようなものだといってもいいかもしれません。

 

だから、なにが起こってもあわてず騒がず、腹もたてず、余裕をもってやりすごせるのです。

 

このように、真理を知った人間は人生のしくみやこの世のシステム、そして本物の幸せとはなんであるのかがちゃんとわかっているので、自分の脳に騙され、ふりまわされることはありません。

 

むしろ逆に自分の脳や身体を効率的につかって苦労や苦痛、困難を避けながら、不幸とは無縁の人生を手にいれて、至福の幸せと安らぎのなかで暮らしていくことができるというわけです。

 

本物の幸せとはなにか?

それでは、本物の幸せとはいったいなんなのでしょうか。

 

どういった状態をいうのでしょうか。

 

それを知るためには、まず人間の構造を知る必要があります。

 

人間というのは肉体と意識のふたつから成り立っているのですが、じつはこの意識には、脳が作りだす肉体意識(顕在意識、潜在意識)以外に、幽体(霊体)と魂(宇宙意識)という3つの意識があるのです。

 

そして、人間がえられる本物の幸せ、最高の幸福感というのは魂(宇宙意識)のエネルギーが肉体、幽体を満たしたときにはじめて感じられるのです。

 

これはヨーガや気功で宇宙と一体化すると言われたり、宗教で神の臨在を感じたとか、聖霊に満たされたといわれたりする境地です。

 

このような境地にたっすると、なにをしていようと、なにもしていなくても、つねに絶対的な喜びと安らぎとが全心身を包みこむ本物の幸せをえることができます。

 

それは欲望をかなえることによる一時的な脳の刺激にくらべて、はるかに強力なエネルギーになります。

 

ですから、そんな真の幸福を知った人間は、必死になって一時的な脳の刺激を求める必要などもなくなってきます。

 

それでは、このような魂のエネルギーが肉体や幽体に流れてくるためには、どうすればいいのでしょうか。

 

カンタンです。

 

エネルギーをちゃんと受けいれられるように肉体、幽体をからっぽにするのです。

 

汚水でいっぱいのコップにきよらかな水を注ごうとしてもはいる余地はありませんからね。

 

いったんそのような至福の境地にいたると、さらにいいことがおこってきます。

 

幸せには幸せがよってくる

幸不幸とか喜怒哀楽といった感情や肉体意識からわきあがる欲望、煩悩は、一種のエネルギーなので波長をもっています。

 

『あの人とは波長があう』

 

と言ったりしますが、これは実際にその人から発せられている波長を無意識のうちに感じとっているのです。

 

この波長は頭でもある程度は感じとることはできますが、むしろ人間のもうひとつの意識である幽体のほうがハッキリと感じとることができます。

 

そして、同種の波長をもった幽体は引きあい、次元の異なった波長をもった幽体同士は反発するという特徴があるため、これが無意識のうちの好き嫌いとなって脳に認識されるのです。

 

というわけで、肉体意識と幽体とが浄化され魂の光(幸福)の波長を発している人には、おなじような波長の優しくおだやかな人が寄ってきて、波長の異なったいわゆる迷惑な人たちは自然と離れていってくれるのです。

 

逆に、幽体が欲望や人への敵対心、憎しみ、怒り、苦しみ、悲しみなどで満たされている人には、それぞれの波長におうじて、平気で人を傷つけたりするような人、自己中心的で私利私欲のかたまりのような人、いつも不平不満ばかりを口にしている人などが寄ってきます。

 

こうして、幸せな人は良好な人間関係のなかで日々過ごせるわけですから、心のなかだけでなく、環境的にも幸せの条件が整っていくことがおわかりでしょう。

 

不幸もどんどん逃げていく

幽体同士が引きあったり反発したりするのは生きている人間だけでなく、死んで肉体を脱ぎすてて幽体だけとなった人(いわゆる幽霊)についても同様です。

 

幸せに満たされている人の波長と、この世に執着や未練があったり、だれかに恨みをいだいていたりして成仏できていない幽体の波長はぜんぜん異なるので、人間に害をおよぼすような悪霊たちは近寄ってこられません。

 

したがって真の幸せに満たされている人は、思わぬ不幸や災難にみまわれることもなくなるというわけです。

 

そしてなにより、この世でもっとも強力な宇宙のエネルギーを味方につけているわけですから、もはや人生に不安も恐れも心配もなにもなくなってしまうことは言うまでもないでしょう。

 

このように本物の幸せを知るとまわりの環境も人生自体も好ましい状態に変わってきて、どんどん幸せが幸せを呼んでくれるようになるのです。

 

一時ブームになった引き寄せの法則のように、欲望のとりこになって自分の意識を汚すよりも、逆に心を無にして、幽体を清めて、魂の光に身をゆだねることで完璧な幸せは手にはいるのです。

 

さらに言えば、このように真理を体現できれは、人生を幸せで充実したものに変えてくれるだけでなく、死んだあとも天国や極楽とよばれている、永遠に安らぎと幸福とがつづく場所にいくことができるのです。

 

これをヨーガや仏教では解脱と言い、人間が目指すべき最終のゴールとなります。

 

あなたも、このような完璧な幸せに満たされた人生をおくりたいと思いませんか。

 

その具体的な方法は、大昔からさまざま人によって伝えられています。

 

それがヨーガであり各種の宗教であり、またそれらのなかにある真理を研究するトランスパーソナル心理学やスピリチュアリズムなのです。

 

このサイトではそんな真理やそこにいたる具体的な方法を、ヨーガや各種の宗教をとおして解説していきたいと思います。

 

もしあなたがいま、悩みや苦しみのなかにあったり、人生にもの足りなさを感じたりしていても大丈夫です。

 

真理さえ知れば、その瞬間から人生が幸せに満ちあふれたものにかわっていくのです。

 

あなたも不幸や苦しみのない、おだやかで幸せに満ちた世界にきませんか?